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2011年05月24日

ひろしまヨガピース2011 平和記念公園ツアー編

オープニングクラスのあと、ひろしまヨガピース実行委員さんの
計らいで、お昼休みを使って、平和記念公園ツアーがおこなわれました。

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ボランティアガイドさんが案内してくださったのですが、
本来、1時間半くらいをかけてまわるところを、
50分という短さのため、ガイドさんが早歩きになりながら、
それでも伝えたいことがたくさんあるから!と熱心に
お話しをしてくださいました。

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慰霊碑の前で、ボランティアガイドさんが説明。
「安らかに眠って下さい
過ちは、繰り返しませんから」
と刻まれています。

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慰霊碑、平和記念資料館、原爆ドームが
一直線に並んで配置されています。
このひとつひとつに平和への願いと意味が込められています。

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今では緑豊かな公園となっている平和記念公園。
ここがもともとは、原爆投下される前は、人々が生活する
町でした。その町を人々のインタビューをもとにCGで再現する
というのを以前、テレビ番組で見たことがあります。
スペースの空いた公園に原爆が落とされたのではない。
人々が生活し、暮らしていた町に落とされたのだ、という
重い事実にことばを失います。

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原爆の投下で起きたすさまじい爆風によって重い墓石が
吹き飛びました。それがそのまま残されています。
この下に見えている地面の高さが本来の地面でした。
そこに70cmの盛り土をして、現在の記念公園となっています。

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アメリカでも有名な被爆でなくなった少女、佐々木貞子さんの像。
2歳で被爆して10年後に、彼女は白血病を発病しました。
この日、私たちのガイドをしてくださった方は、貞子さんの
同級生で、2軒隣のおうちに暮らしていたそうです。
ガイドさんは、「これまで病気ひとつせず、ずっと元気に
暮らしてきました」とおっしゃてました。

その違いは。

逃げた方向が違ったそうです。貞子さんちは、爆心地から
西の方へ。ガイドさん一家は広島駅の方へ向かいました。
そこで、放射能を含んだいわゆる「黒い雨」が降ったのが、
貞子さん一家の逃げた方角だったそうです。

非常に驚いたのが、被爆しながらも、何も発病せずに
元気に生きていらした方がこうしていらっしゃったこと。

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いまも、平和を願った貞子さんの思いに
動かされた世界中の子どもたちから、折り鶴が届けられます。

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被爆で亡くなったのは、日本人に限らず、当時、大勢の
在日朝鮮人の方も多くいらっしゃったそうです。
この慰霊碑は、朝鮮の王朝の一族で広島で被爆して
亡くなった方が寄贈したそうです。
亀は、朝鮮では、天に召される象徴なのだそうです。

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こんもりと盛られているのは、原爆供養塔です。亡くなったことを
確認する人もいないまま、遺骨が納められています。
広島市は、毎年、氏名が判明している引き取り手のない遺骨の名簿を公開して、
遺族を探しているそうです。
さらに、毎年8月6日にはこの供養塔の前で、さまざまな宗教・宗派を超えて
合同の供養慰霊祭が行われているそうです。
ガイドさんいわく、宗教・宗派を超えたこうした供養を行う日本は
すばらしいと思う、とおっしゃってました。

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平和の鐘。
鐘には平和を願った国境のない世界地図が描かれ、戒めとして、
鐘を突く部分には原子力マークが描かれています。

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鐘を突く反対側には、撞く人の己の心を写しだす鏡があり、
「自己を知れ」の文字が。
サンスクリット語も刻まれています。

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原爆の象徴となっている原爆ドーム。
当たり前のように残されていたものと思っていましたが、
危険だ、という意見で取り壊される声が高まっていたそうです。

ある被爆し白血病で亡くなった女子高生が、
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき
原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」と記した日記を
知った外国人の記者が報道したことによって、保存を求める
声が高まったそうです。

「こうした純粋な思いが人々を動かすんですね」とガイドさんが
語ったことがとても印象的でした。

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広島市にはいくつものおだやかな川が流れています。
爆心地となったのも、川の交差する橋でした。
原爆投下後、被爆した人々で埋め尽くされ、水も見えなかったと
言います。

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熱さと激しいやけどの痛みから逃れようと、水を求めて
多くの方が川を目指しました。犠牲者の魂を慰めるために、
慰霊碑の周囲には水が湛えられています。

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平和の灯(ともしび)。
核兵器のない世の中を願って、建立されたときから
いままで絶えることなく燃え続けているそうです。
台座は、手首を合わせた手のひらをかたどっています。
平和の灯、慰霊碑、平和の池、原爆ドームが一直線に
並ぶ配置となっています。

平和記念公園にある1つ1つには、慰霊の意味と
平和への願いがこめられています。

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被爆体験記や原爆死没者の氏名・遺影を収集して展示している、
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。
平和記念ではなく、祈念なのがポイントです。
時間の都合上、中には入らなかったのですが、
外には、原爆投下時刻の「8時15分」を示すモニュメントがあり、
そのまわりには、建設工事中に敷地内から出土した被爆瓦が
配置されています。

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ヤスシ先生とガイドの女性。
「原爆に関して、広島の方はアメリカにどういう感情を
持っていらっしゃるのでしょうか。憎しみとか、でしょうか。」
「いいえ。国同士は戦争をしましたが、人と人は支え合って
きたと思いますよ。被爆した患者さんの皮膚移植など、
アメリカの団体がずいぶんサポートしてくださいました。」

そして、最後にガイドの女性から。
「広島から、この平和記念公園からみなさんに持ち帰って
いただきたいことがあります。
それは、平和を本当に願う気持ち。まずは、家族を大切にする。
家族を大切に出来ない人は、他の人ともよい関係を築けません。
家族と仲良く。人と仲良く。」

そのシンプルな思いを持ち続けていくこと、
平和な気持ちを大切にすること、
ヨガに通じる、ヨガで広げていける精神文化に
触れることができました。

しち

投稿者pr: 2011年05月24日 16:30

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